パチンコ誕生博物館へようこそ!!


           

        展 示 B  第2室  倉 庫

      展示 展示@ 展示A 展示B 展示C 展示D 展示E 展示F 展示G



バガテール(コリントゲーム)とは何か?



 長いこと、パチンコの元はコリントゲームと言われ続けてきた。
コリントゲームが日本に伝来するのは、1932(昭和7)年である。パチンコが生まれたのは、昭和の初めである。
 コリントゲームはパチンコの元ではない。だが、「コリントゲームの遊技場」は、パチンコに大きな影響を与えている。
 コリントゲームはイギリスの「コリンシアンバガテール」から来ている。
 バガテールはフランス語で、「つまらないもの」「大した物ではないもの」を指す。
 コリンシアンバガテールの元は、フィンランドの「フォルトゥナ」である。
 私は、イギリスそしてフィンランドに渡り、フォルトゥナの生みの親、ユホ・ユッシラの末裔と、その研究をしているユヴァスキュラ大学博物館を訪れ、取材、調査した。



現在も作られているユホ・ユッシラ製の「フォルトゥナ」と共箱





 フィンランドのユホ・ユッシラ社製の「FORTUNA」と共箱。









 2002(平成14)年3月、私はフィンランドのユホ・ユッシラ社とユヴァスキュラ大学博物館を訪れた。
 私の博物館では、その時の写真を展示している。私の指さす人が私である。



  日本のコリントゲームは1932(昭和7)年末から製造され、昭和8年に大流行した。下の2台は日本のコリントゲームの元になった、イギリスのコリンシアンバガテールと共箱である。

            コリンシアン10           コリンシアン21T
      1933年頃、イギリスのアベイ社製
  ネームプレートに1932年の特許番号がある。
    1931年頃、イギリスのアベイ社製
  ネームプレートに1930年の特許番号がある。

 
「コリンシアン」の名称がなぜ付いたかは、ご来館いただいた際、ご説明致します。



日本製現存最古のコリントゲーム

 下の二つのコリントゲームは、日本のコリント商会製のコリントゲームである。

     コリントゲーム        コリントカードゲーム
     昭和7年末から製造

 上記アベイ社のコリンシアンバ
ガテールをそっくり模している。

          昭和8年頃製造

 世界の国旗の中に、日本と満州国
の旗がある。てっぺんが日本で300
点、その下が満州国で200点、アメリ
カも200点、イギリスは150点。

 左のコリントカードゲームに付けられたコリント商会を示すトレードマーク

コリント商会は、コリントゲーム以外のゲームも販売している。コリント商会の社長は誰か?



イギリス製バガテール

 1899年、イギリスのヘンリー・ジョン・ジェラード・ペッシャーズがバガテールを立て、パチンコの元の元のウォールマシンの特許をとった。

         ピンなしバガテール 
 ベル、クラゲ付きピンバガテール
        イギリス製、1900〜1915年  イギリス製、1890〜1900年代初頭

 バガテールは寝かせて遊ぶものであるが、ペッシャーズは上右図によく似たバガテールを立て、ガラスをはめ、下から玉を打ち上げるようにした。当博物館で、ペッシャーズの1899年の特許図面をとくとご覧下さい。


















1899年のペッシャーズの特許図面を指さす私。





 バガテールは、パチンコの元のウォールマシンの元であり、コリントゲームの元でもあり、スマートボールの元のピンボールの元でもある。
 当博物館の倉庫入口には、下図の「相関図(バガテールの発展)」があり、バガテールから派生した、それらの関係が一目でわかるようになっている。
 だが、ホームページをご覧の方には、何が何だか分からないと思います。
 当館にお出での際は、私がこの一覧表で、ご来場の皆様に、ご納得いただけるまでご説明いたします。




第2室倉庫入口に貼られた「相関図(バガテールの発展)」